逸見政孝さんとジャンボ尾崎さん
1993年12月25日(土曜日)12時47分、逸見政孝さんがどこかへ旅立ってから32年の月日が流れた。私にとって「12月25日」は、1年で1番迎えたくない日である。想像すらしていなかった逸見さんの年齢を越え、志半ばで命を絶たれたことへの恐ろしさを覚える。
近年は有名人の訃報がこたえるようになった。プロ野球の隆盛を築いた長嶋茂雄さんは、2025年6月3日(火曜日)6時39分に黄泉の国へ旅立ち、ほとんどの日本人と同じ荼毘(だび)にふされたのは、耐え難い現実である。今でも“90歳の長嶋さんを見たかった”という思いがある。
12月23日(火曜日)15時21分、プロゴルフの「ジャンボ尾崎」こと、尾崎将司さんが黄泉の国へ旅立った。愛弟子(まなでし)、佐久間朱莉選手の年間女王を見届け、安堵されたのだろうか。今の時代、78歳は早いように思える。
逸見さんとジャンボ尾崎さんは親交がある。
きっかけとなったのは1987年、逸見さんが当時在職していたフジテレビの報道番組『スーパータイム』で、あろうことか3ホール対戦することになった。結果は言うに及ばずで、放送終了後、ジャンボ尾崎さんが逸見さんにニックネームをつけることになった。プロゴルファー尾崎3兄弟もニックネームがあり、長男の将司選手は言わずと知れた「ジャンボ」、次男の健夫選手は「ジェット」、3男の直道選手は「ジョー」と、いずれも「J」から始まる。
逸見さんも「J」がつき、その名は「Jammer」。逸見さんの著書『新版 魔法のまじめがね ブラウン管は思いやり発信局』(文藝春秋刊)によると、「逸見さんは、取材だとかいって、我々三人の練習の邪魔ばかりしているから〝Jammer〟(ジャマー)逸見だ」(本文引用)の由(よし)。
以降も親交が続き、逸見さんが1993年9月6日(月曜日)にがん告白記者会見を開き、9月7日(火曜日)に入院。13時間に及ぶ手術後の9月28日(火曜日)にジャンボ尾崎さんから5月16日(日曜日)に日本プロゴルフ選手権で優勝した際に制作した通算80勝記念の盾が病室に届く。ごく内輪の関係者しか持っていない貴重なものだという。それを逸見さんに送るのだから、懐の深い方だと思う。ジャンボ尾崎さんはその後も33勝を積み上げた。
参考までに、逸見さんがゴルフを始めるきっかけとなったのは、1983年に医師から運動不足解消の一環として、勧められたこと。当時、軽度の糖尿病を患っており、のちに煙草もやめた。それまでは1日60本も喫煙したという。
ジャンボ尾崎さんの御冥福をお祈りいたします。
☆備考
①『新版 魔法のまじめがね ブラウン管は思いやり発信局』(逸見政孝著、文藝春秋刊)
②『ガン再発す』(逸見政孝著、逸見晴恵補筆、廣済堂出版刊)
☆逸見政孝さん関連記事
・ハフポスト日本版(BuzzFeed Japan刊)
①逸見政孝さん-忘れられない12月25日-
②自殺
③死
④逸見政孝さんの故郷最寄り駅、大阪市交通局御堂筋線西田辺
※拙著『大阪の地下鉄大研究』(天夢人刊)にも掲載(転載)
⑤空白の1日事件を取材していた逸見さん
⑥"日本テレビ隆盛の原点"といえる逸見政孝さん
⑦私は"いっつみぃ信者"
・岸田法眼のRailway Blog.
①逸見政孝さん生誕の地、大阪市交通局御堂筋線西田辺駅
②逸見政孝さんのあとを追う奥様と名医
③あれから17年
④空白の1日事件を取材していた逸見さん
⑤Twitterダイジェスト 2011/12/26-逸見さんスペシャル-
⑥Twitterダイジェスト 2012/12/25-逸見政孝さんスペシャル2012-
・岸田法眼の情熱系現場主義
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