2009年の汽車旅4-14(特急〈はまかぜ〉キハ181系フォーエヴァー)
山陽本線 旅行貯金 JR西日本 115系シリーズ 221系 キハ181系 はまかぜ フォーエヴァー 赤穂線 山陽新幹線 キハ189系 かにカニはまかぜ ありがとうキハ181系 223系シリーズ ひかり こだま のぞみ JR東日本 中央本線 東海道本線 103系シリーズ 和田岬線 神戸市交通局 海岸線 山手線 湖西線 207系シリーズ 321系 福知山線 205系シリーズ 201系 113系シリーズ 近江鉄道 本線 完全制覇 しらさぎ JR東海 117系シリーズ 313系シリーズ 樽見鉄道 樽見線 兵庫県南部地震 東北地方太平洋沖地震
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・2009年の汽車旅4-1~11
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-24
・2009年の汽車旅4-12
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-26
・2009年の汽車旅4-13
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-29
◆特急〈はまかぜ〉キハ181系フォーエヴァー
2009年8月17日(月曜日)、相生の空は蒸し暑いほどの快晴。まさに真夏らしい空模様である。
※相生郵便局

9時10分過ぎに宿をチェックアウトして、徒歩10分の相生郵便局で旅行貯金。そのあとは相生駅へ。山陽本線2番のりばには赤穂線播州赤穂からの普通電車姫路行き(クハ115-1112:体質改善車)、3番のりばに始発の普通電車上郡行きが、ほぼ同じ時刻にホームに進入した。

普通電車姫路行きは、9時54分に発車。座席に坐れなかったが、先頭車の乗務員室に編成の車番がマジックで記しており、容易にチェックできる。あっラッキー、ラッキー、ラッキィーッ!!
※網干駅前郵便局

10時04分、網干に到着し、初下車。北出口から徒歩30秒もかからない網干駅前郵便局で旅行貯金。ホームに戻り、3番のりばで発車を待つ始発の普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行き(6号車クモハ221-6:ローレル賞プレート。網干―姫路間、姫路―大阪間は女性車掌乗務)へ。駅員や車掌は、新快速利用は姫路で乗り換えるよう、案内している。ちなみに普通電車姫路行きが網干に到着した際、3番のりばに始発の新快速米原方面近江塩津行きが発車を待っていた。

乗車する221系は鉄道友の会ローレル賞のプレートを掲示。しかし、1号車ははがれていた。受賞して20年近くたつと、劣化ではがれてしまうのだろうか。

10時30分に発車。乗務員室の後ろには、乗務員なのか駅員なのかはわからないが、JR西日本の制服社員3人が陣取っている。ものものしい雰囲気を感じるが、多くの鉄道事業者は、制服勤務中で旅客列車の車内に乗って移動する際、座席に坐らないのが鉄則のようだ(当然のことながら、乗務中の運転士、車掌などを除く)。

高架を登り、1段高い山陽新幹線の高架をくぐると、10時41分、姫路5番のりばに到着。向かいの6番のりばには、始発の新快速京都方面野洲行きが10時42分の発車を待っており、この電車に乗り換えるお客が多かった。また、隣の7番のりばには、特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きが発車を待っている。特に7番のりばの先頭7号車寄りでは、記念撮影をするレールファンや旅行客がいて、ゆとりある停車時間は“思い出を焼きつける場”として、有効利用している(特急〈はまかぜ〉は姫路で方向転換)。ちなみに、特急〈はまかぜ〉は通常4両で運行しているが、この日は3両増結し、多客期輸送に備えていた。
特急〈はまかぜ〉は長らくキハ181系で運行していたが、老朽化によりキハ189系の投入が決まった。当初は2011年春のデビューを予定していたが、試運転が順調に進んだことから、2010年11月7日(日曜日)に前倒しデビューし、一斉に置き換えた。ただし、冬季の風物詩的な列車、臨時特急〈かにカニはまかぜ〉はキハ181系を続投させていたが、同年12月23日(木曜日・天皇誕生日)で運行を終え、2011年からキハ189系にバトンタッチした。
キハ181系最後の旅客列車は、2011年2月26・27日(土・日曜日)に山陰本線京都―米子間で運行された団体臨時列車〈ありがとうキハ181系〉で、翌月に廃車された。さいわい、キハ181-12は国鉄色に戻し、旧津山扇形機関車庫に展示されている。
10時44分、特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きが発車。ディーゼルエンジンの黒い煙は、まるで“蒸気機関車の何分の1”と思わせるほどで、“強い香り”が鼻腔に刺激を与えた。
◆山陽本線複々線完全制覇達成!!
特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きが発車後、6番のりばに223系2000番代の普通電車姫路止まりが到着。大半は後続の新快速米原方面長浜行きに乗り換えるため、列を作る。新快速米原方面長浜行きの平日は網干始発だが、姫路でも坐れるという確信を持っているのだろう。
普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行きに戻り、1号車のトイレで待っていたら、中年の茶髪ロングヘアーの女が出てきた。私がトイレ待ちしていることに気づくと、後ろめたい表情をしていたが、中に入ると、煙草のニオイがプンプン。トイレで喫煙をしていたのである。221系は当初から全車禁煙だが、アーバンネットワークの駅も全面禁煙になったため、嫌煙家の私としては快適に過ごせるようになった。
10時50分に発車。御着―ひめじ別所間で、山陽新幹線〈ひかり548号〉レールスター新大阪行きに抜かれるが、それでも221系は110㎞/hを出している。そのあと、運転席の左側にある乗務員室用側扉窓が何度も開いてしまい、運転士はその度に閉めた。勤続20年の疲労なのだろうか?
宝殿で大量乗車があり、立客が発生。発車すると、マンションの建築工事が進んでおり、兵庫県加古川市はベッドタウンになりつつあるようだ。

高架を登り、定刻より1分遅れの11時06分、加古川4番のりばに到着。乗客の大半は3番のりばから先に発車する、新快速米原方面長浜行きに乗り換えてゆく。
加古川のホームが地平だった頃は、山陽本線上りのみ緩急接続ができず、普通電車は1つ先の東加古川で、新快速の通過待ちをしていた。高架化によるホームの見直しで、利便性が向上したが、新快速米原方面長浜行きから普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行きに乗り換える人は少なかった。高架化が呼び水となったのか、駅前にはマンションが建設されており、“加古川府民”がさらに増えていきそうだ。
11時10分に加古川を発車し、電車は東加古川3番のりばに到着。先述した補足になるが、かつては山陽本線上り2番のりばに普通電車が停まり、3番のりばで新快速が通過していた。2番のりばを使う機会は激減したが、レールと架線は残されている。
東加古川から先は、徐々に乗車率が上がり、JR東日本中央本線にも同名の駅がある大久保を過ぎると、電車は大きく右に針路を変え、西明石に到着。ここから東海道本線草津までは複々線となる。
この日は山陽本線西明石―神戸間の複々線のうち、西明石―新長田間の緩行線は未乗車のため、以前から乗りたいと考えていた。“乗るのであれば、221系にしたい”というこだわりを持っており、ようやく実現した。
西明石では1分停車。神戸から先は、後続の新快速京都方面湖西線経由敦賀行きが早く着くものの、次の明石とも隣のホームへ移動しなければならないせいか、思ったほど乗り換え客は少なかった。新快速に乗り換えても、坐れない可能性があるため、“坐り続けたい”願望が強いのだろう。
※次は明石
明石からは快速運転がスタート。朝霧―舞子間は、列車線(特急、新快速、一部の快速、貨物列車など)は上段、電車線(大半の快速、各駅停車)は下段を走る。西明石―草津間の複々線は列車線を「外側線」、電車線を「内側線」ともいわれるが、西明石―新長田間はJR東日本首都圏の複々線と同じ「快速線」、「緩行線」というレイアウトである。
快速は一部を除き、電車線を走行するが、終日列車線で運行できない理由は2つある。1つ目は新快速に2回追い抜かれること、2つ目は舞子、垂水、須磨の列車線にホームがないためである。ちなみに朝ラッシュ時の一部の快速は、列車線を走り、舞子、垂水、須磨を通過する(種別を「通勤快速」に改めて、わかりやすくするべきだろう)。

舞子は明石海峡大橋の最寄り駅で、淡路島や徳島駅方面の高速バスに乗り換えることができる。舞子はもともと通過駅だったが、明石海峡大橋の開業に伴い、平成10年(1998年)3月14日(土曜日)のダイヤ改正で停車駅に加えている。
停車中、左側の列車線で新快速姫路方面播州赤穂行きが通過すると、横揺れの衝撃があった。まるで〈こだま〉が〈ひかり〉〈のぞみ〉の通過待ちを受けているかのようだ。

※次は須磨
垂水を発車すると、複々線はまた上下段に分かれ、進行方向右側には大阪湾が見えた。列車線と違い、電車線は間近で大阪湾を眺めることができる。
11時42分、須磨3番のりばに到着。隣の2番のりばには、321系の上り各駅停車が発車を待っている。同一ホームで緩急接続できない珍しい展開だが、各駅停車は須磨始発で、そのまま折り返しているのだ。

新長田を通過すると、山陽本線複々線完全制覇達成!! ほどなくして、複々線は複線並列から“片側2車線”方式に変わり、新快速京都方面湖西線経由敦賀行きにあっさり抜かれ、兵庫に到着。1段低い高架の山陽本線支線(通称、「和田岬線」)ホームには、103系がパンタグラフを上げた状態で止まっている。和田岬線用の103系は教習車兼用となっているせいか、方向幕は「兵庫⇔和田岬」のまま。
さて、2011年2月15日(火曜日)の神戸新聞によると、JR西日本は和田岬線を切り捨てる可能性があると報道している。
和田岬線は「神戸市交通局海岸線と競合している」といってもよく、一部の利用客が同線に流れたほか、三菱重工業や三菱電機の従業員自体も減っており、乗車率が減少の傾向にあるという。
和田岬線は朝夕ラッシュ時のみの運行で、2011年3月13日(土曜日)のダイヤ改正時の運行本数は、平日17往復、土曜日12往復、休日2往復。一方、海岸線は日中10分間隔で運行しており、利便性は歴然としている。しかし、海岸線も低調で、約830億円の累積赤字を抱えているという。これは全区間東海道・山陽本線及び、同局山手線と競合しているからである。
和田岬線を切り捨てたところで、海岸線の乗車率が劇的に上がる保証はないが、どこまで巻き返せるか? また、和田岬はどういうところなのか? ゆっくり歩いてみたくなる。
◆セカンドライフの男性とボーイズトーク
11時50分、神戸に到着。新快速京都方面湖西線経由敦賀行きに乗り損ねたのか、意外と多く乗ってくる。ここから東海道本線に入り、元町で大量下車。一気にガラガラとなるものの、三ノ宮で再びにぎわう。神戸―高槻間は新快速より早く到着するためだからだろう。
六甲道は平成7年(1995年)1月17日(火曜日)5時46分に兵庫県南部地震(阪神大震災)が発生した際、高架が損傷。ニュース映像で、復旧工事完了後、複々線で同一方向に試運転をする電気機関車の記憶が蘇った。
六甲道は2011年3月19日(土曜日)に利用したが、駅前では地元の大学生が東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日14時45分発生)の募金活動に精を出していた。私は都内で震度5強を経験し、一生忘れられない大きな揺れを味わったが、大津波で激甚な被害を受けた東北地方太平洋沿岸を中心に、みずから救いの手になる姿に感銘を受けた。
快速(高槻から普通電車)京都方面米原行きは、芦屋2番のりばに到着。向かいの1番のりばには、207系の各駅停車JR東西線経由松井山手行きが停まっており、接続をとる。
芦屋は新快速も停まり、各駅停車と接続をとっているが、私はあることに気づいた。
それは緩急接続を行なう際、新快速は下り1番のりば、上り4番のりば、各駅停車は下り2番のりば、上り3番のりばに停車。快速は下り2番のりば、上り3番のりば、各駅停車は下り1番のりば、上り4番のりばに停車することだ。さすがはフレキシブルに優れた“JR西日本、巧みの技”といえる(大げさな表現かもしれないが)。
ガラガラの特急〈はまかぜ3号〉香住行きとすれ違い、尼崎5番のりばに到着。向かいの6番のりばには、福知山線宝塚からの快速JR東西線経由同志社前行きが停まっており、接続。ちなみに2011年3月12日(土曜日)のダイヤ改正で、日中時間帯にJR東西線を経由する快速は、福知山線塚口発着に変更されている。このダイヤ改正前までの福知山線尼崎―宝塚間は“快速街道”で、日中時間帯はJR東西線からの快速と丹波路快速が頻発していた(注、丹波路快速は誕生時から30分間隔で運行)。
現在、福知山線塚口―宝塚間の日中は、大阪発着の快速(丹波路快速も含む。なお、塚口は通過)、各駅停車はそれぞれ15分間隔に統一し、ダイヤにゆとりを持たせている。
快速(高槻から普通電車)京都方面米原行きが先に尼崎を発車し、12時23分、気温33.8度の大阪8番のりばに到着。ここで2分停車し、乗客は大幅に入れ替わる。向かいの7番のりばには、321系の各駅停車京都行きが停まっており、接続をとる。
8番のりばは長蛇の列だが、半数は後続の新快速米原方面近江塩津行きを待つ。大阪―京都間は、新快速が絶対的な存在であることを物語っているが、それゆえ、乗客が集中してしまう課題もある。京都は湖西線直通の普通電車が発着するため、緩急接続が難しい状況にある。京都で緩急接続をさせるには、特急用の0番のりばに新快速を終日停車させる案もあるだろう。しかし、同一ホームで乗り換えることができない難点がある。JR西日本としては、利用客に負担をかけない乗換えが理想ではないだろうか。
また、高槻発着の各駅停車を京都発着に変更させ、快速区間を終日西明石―京都間に統一させれば、京都での緩急接続が可能だと思う。先述したように、同一ホームで乗り換えさせることができるかが課題だろう。
新大阪で多く降り、私の隣に「リタイア(定年退職)して10年」という70代と思われる男性が坐ってきた。発車すると100㎞/hも出ない。明石―大阪間はものすごく速い印象を受けていただけに拍子抜けだ。
吹田を通過し、進行方向左側には展示予定の0系が見え、それを過ぎると、男性が話しかけてくる。私が“旅人”であることを見抜いたようだ。
男性は甲子園球場で高校野球を観戦した帰りだという。本来は数試合見るつもりだったらしいが、暑いことや球場が混雑している状況だったため、予定を早めて切り上げたという。この男性は山科まで利用するので、後続の新快速米原方面近江塩津行きが早く着くものの、特にこだわっていないようだ(新快速は坐れる保証が低いため、乗車率が劣る快速を選択肢もある)。
男性は私を旅人かつ鉄道好きだと見抜き、脳梗塞で倒れた友人を話し出す。その友人は蒸気機関車の車輪を5枚持っていたという。しかし、2枚を処分。友人の奥さんは車輪収集に困っていたらしい。蒸気機関車の車輪は大きいものなのか、小さいものなのかはわからなかったが、大きいものだと置き場所に悩むだろう。
高槻から普通電車となり、12時43分に発車すると、猛烈なスピードに戻る。かつて、高槻―山崎間(7.5キロ)は103系が激走していたという。今は途中に島本という駅を新設したが、それでも高槻からは5.3キロ離れている。
新駅の設置による所要時間確保のため、100㎞/h止まりの201系、205系は他線に移ったが、2011年3月12日(土曜日)のダイヤ改正で、後者が奇跡的に東海道本線復帰を果たした。205系は207系や321系と同じカラーに装いを改め、平日朝のみ京都―尼崎間で運行を再開している。
山崎を発車すると、新快速米原方面近江塩津行きに抜かれ、桂川(久世)に到着。
「桂川にも快速停まるんやなぁー」
と男性はつぶやく。ちなみに桂川(久世)は快速通過駅で、普通電車や各駅停車のみ停車する。男性が「快速」だと言ったのは、快速区間の大半の電車は「西明石―高槻間」だからである。


さて、兵庫―京都間の複々線の注目点は、柵である。これは多くの駅のホームが相対式ふうになっている。特に各駅停車しか停まらない駅は、列車線ホームに柵をして、安全性の確保に努めている。また、列車線に快速が停まる駅では、ロープのみ、またはロープと柵を併用している

かつて、各駅停車しか停まらない駅は、黄色い柵を設置していたが、いつのまにか銀の柵に更新した。この柵は列車線を走行中の列車が非常時で緊急停車した際、容易に脱出できる工夫を施している。
13時05分、京都2番のりばに到着。向かいの3番のりばには、113系湖西線直通の普通電車近江今津行きが13時11分の発車を待っている。
◆まさかの消灯
山科で男性が下車し、私はお礼を述べる。
トンネルを抜け、大津に到着するとき、突然、非常灯以外の車内灯がすべて消えてしまうアクシデントが発生した。車掌はお詫びを入れていたが、トンネル内であれば混乱が生じていたかもしれない。
瀬田で下車客が多くなり、草津を過ぎると1シート1人の状況となる。普通電車の京都―野洲間は15分間隔だが、野洲―米原間は30分間隔になるため、“ローカル線”のような雰囲気となる。
13時38分、野洲2番のりばに到着。ここで1番のりばに滑り込む新快速野洲止まりを待つ。かつて、日中の新快速大阪発上りは、00・30分発は米原方面長浜行き、15分発は京都方面湖西線直通、45分発は京都方面草津行きだった。その45分発を京都方面野洲行きに変更し、終点で普通電車米原行きに接続をとったのである。これにより、新快速の米原方面は、実質毎時3本体制になったといえるだろう。ちなみに、現在の日中の新快速大阪発上りは、00分発は米原方面長浜行き、15分発は京都方面湖西線経由敦賀行き、30分発は米原方面近江塩津行き、45分発は京都方面野洲行きである。

新快速野洲止まりが到着し、半数は普通電車米原行きに乗り換え、13時42分に発車。野洲―篠原間、安土―能登川間は120㎞/hをマークした。

南彦根を過ぎると、近江鉄道本線に合流し、2009年4月8日(水曜日)に誕生した新駅、ひこね芹川を通過。ガードマン1人が警備にあたり、電車の到着を待っている。

車内はすっかり空席が目立っているが、ラストスパートも手を抜かず、しっかり走り、14時17分、終点米原5番のりばに到着した。
◆定速走行でスイスイ名古屋へ

米原7・8番のりばへ。7番のりばには臨時エル特急〈しらさぎ92号〉米原止まりが到着し、ホームは混雑かつ混乱。そんな中、8番のりばにJR東海の普通電車大垣行き(クハ117-111:女性車掌乗務)が入線。始発から立客が発生し、14時30分に発車。快晴が続き、日よけのカーテンを下ろす乗客も少なくはない。
※次は大垣 終点

15時04分、終点大垣1番線に到着。乗り換える新快速豊橋行き(クモハ313-5001:女性車掌乗務)は、なんと5番線!! ほとんどの人々が大移動と化し、新快速豊橋行きに乗り換えるものの、坐れることができず15時10分に発車。途中まで樽見鉄道樽見線と並走するが、雑草が気になる。
意外にも岐阜で多く降り、乗車率は若干落ち、15時22分に発車。直線が多いため、115㎞/hの定速走行でスイスイ駆け抜ける。
※次は名古屋
尾張一宮を発車し、下り坂で116㎞/hを記録。清洲通過後にスピードが落ちたものの、枇杷島で息を吹き返し、15時40分、名古屋2番線に到着した。
★備考
①eyevio「2009 年の汽車旅4 THE MOVIE」
②鉄道ニュース「キハ181系“はまかぜ”ラストラン」
③鉄道ニュース「キハ189系が“はまかぜ”で営業運転を開始」
④鉄道ニュース「“かにカニはまかぜ”運転開始」
⑤鉄道ニュース「キハ181系“かにカニはまかぜ”ラストラン」
⑥鉄道ニュース「『ありがとうキハ181系』号運転」
⑦鉄道ニュース「キハ181-12が津山へ」
⑧鉄道ニュース「京都総合運転所のキハ181系6連が下関へ」
⑨鉄道ニュース「旧津山扇形機関車庫にキハ181-12などが追加展示される」
⑩神戸新聞NEWS「利用客3割減 和田岬線の廃止検討 JR西日本」
⑪参考資料として、交通新聞社刊行、『鉄道ダイヤ情報2011年5月号』を使用。
・2009年の汽車旅4-1~11
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-24
・2009年の汽車旅4-12
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-26
・2009年の汽車旅4-13
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-29
◆特急〈はまかぜ〉キハ181系フォーエヴァー
2009年8月17日(月曜日)、相生の空は蒸し暑いほどの快晴。まさに真夏らしい空模様である。
※相生郵便局
9時10分過ぎに宿をチェックアウトして、徒歩10分の相生郵便局で旅行貯金。そのあとは相生駅へ。山陽本線2番のりばには赤穂線播州赤穂からの普通電車姫路行き(クハ115-1112:体質改善車)、3番のりばに始発の普通電車上郡行きが、ほぼ同じ時刻にホームに進入した。
普通電車姫路行きは、9時54分に発車。座席に坐れなかったが、先頭車の乗務員室に編成の車番がマジックで記しており、容易にチェックできる。あっラッキー、ラッキー、ラッキィーッ!!
普通電車姫路行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
網干 | なし | クハ115- | 1112 | ○ | 体質改善車 |
なし | モハ115- | 1042 | ○ | 体質改善車 | |
なし | モハ114- | 1103 | ○ | 体質改善車 | |
相生 | なし | クハ115- | 1244 | ○ | 弱冷車、体質改善車 |
※網干駅前郵便局
10時04分、網干に到着し、初下車。北出口から徒歩30秒もかからない網干駅前郵便局で旅行貯金。ホームに戻り、3番のりばで発車を待つ始発の普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行き(6号車クモハ221-6:ローレル賞プレート。網干―姫路間、姫路―大阪間は女性車掌乗務)へ。駅員や車掌は、新快速利用は姫路で乗り換えるよう、案内している。ちなみに普通電車姫路行きが網干に到着した際、3番のりばに始発の新快速米原方面近江塩津行きが発車を待っていた。
乗車する221系は鉄道友の会ローレル賞のプレートを掲示。しかし、1号車ははがれていた。受賞して20年近くたつと、劣化ではがれてしまうのだろうか。
10時30分に発車。乗務員室の後ろには、乗務員なのか駅員なのかはわからないが、JR西日本の制服社員3人が陣取っている。ものものしい雰囲気を感じるが、多くの鉄道事業者は、制服勤務中で旅客列車の車内に乗って移動する際、座席に坐らないのが鉄則のようだ(当然のことながら、乗務中の運転士、車掌などを除く)。
高架を登り、1段高い山陽新幹線の高架をくぐると、10時41分、姫路5番のりばに到着。向かいの6番のりばには、始発の新快速京都方面野洲行きが10時42分の発車を待っており、この電車に乗り換えるお客が多かった。また、隣の7番のりばには、特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きが発車を待っている。特に7番のりばの先頭7号車寄りでは、記念撮影をするレールファンや旅行客がいて、ゆとりある停車時間は“思い出を焼きつける場”として、有効利用している(特急〈はまかぜ〉は姫路で方向転換)。ちなみに、特急〈はまかぜ〉は通常4両で運行しているが、この日は3両増結し、多客期輸送に備えていた。
特急〈はまかぜ〉は長らくキハ181系で運行していたが、老朽化によりキハ189系の投入が決まった。当初は2011年春のデビューを予定していたが、試運転が順調に進んだことから、2010年11月7日(日曜日)に前倒しデビューし、一斉に置き換えた。ただし、冬季の風物詩的な列車、臨時特急〈かにカニはまかぜ〉はキハ181系を続投させていたが、同年12月23日(木曜日・天皇誕生日)で運行を終え、2011年からキハ189系にバトンタッチした。
キハ181系最後の旅客列車は、2011年2月26・27日(土・日曜日)に山陰本線京都―米子間で運行された団体臨時列車〈ありがとうキハ181系〉で、翌月に廃車された。さいわい、キハ181-12は国鉄色に戻し、旧津山扇形機関車庫に展示されている。
10時44分、特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きが発車。ディーゼルエンジンの黒い煙は、まるで“蒸気機関車の何分の1”と思わせるほどで、“強い香り”が鼻腔に刺激を与えた。
◆山陽本線複々線完全制覇達成!!
特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きが発車後、6番のりばに223系2000番代の普通電車姫路止まりが到着。大半は後続の新快速米原方面長浜行きに乗り換えるため、列を作る。新快速米原方面長浜行きの平日は網干始発だが、姫路でも坐れるという確信を持っているのだろう。
普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
米原 | 6 | クモハ221- | 6 | ○ | ローレル賞のプレート |
5 | モ ハ221- | 6 | ○ | なし | |
4 | サ ハ221- | 6 | ○ | なし | |
3 | モ ハ220- | 20 | ○ | なし | |
2 | サ ハ220- | 20 | ○ | 弱冷車 | |
網干 | 1 | ク ハ221- | 6 | ○ | 弱冷車 |
普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行きに戻り、1号車のトイレで待っていたら、中年の茶髪ロングヘアーの女が出てきた。私がトイレ待ちしていることに気づくと、後ろめたい表情をしていたが、中に入ると、煙草のニオイがプンプン。トイレで喫煙をしていたのである。221系は当初から全車禁煙だが、アーバンネットワークの駅も全面禁煙になったため、嫌煙家の私としては快適に過ごせるようになった。
10時50分に発車。御着―ひめじ別所間で、山陽新幹線〈ひかり548号〉レールスター新大阪行きに抜かれるが、それでも221系は110㎞/hを出している。そのあと、運転席の左側にある乗務員室用側扉窓が何度も開いてしまい、運転士はその度に閉めた。勤続20年の疲労なのだろうか?
宝殿で大量乗車があり、立客が発生。発車すると、マンションの建築工事が進んでおり、兵庫県加古川市はベッドタウンになりつつあるようだ。
高架を登り、定刻より1分遅れの11時06分、加古川4番のりばに到着。乗客の大半は3番のりばから先に発車する、新快速米原方面長浜行きに乗り換えてゆく。
加古川のホームが地平だった頃は、山陽本線上りのみ緩急接続ができず、普通電車は1つ先の東加古川で、新快速の通過待ちをしていた。高架化によるホームの見直しで、利便性が向上したが、新快速米原方面長浜行きから普通電車(西明石―高槻間は快速)京都方面米原行きに乗り換える人は少なかった。高架化が呼び水となったのか、駅前にはマンションが建設されており、“加古川府民”がさらに増えていきそうだ。
11時10分に加古川を発車し、電車は東加古川3番のりばに到着。先述した補足になるが、かつては山陽本線上り2番のりばに普通電車が停まり、3番のりばで新快速が通過していた。2番のりばを使う機会は激減したが、レールと架線は残されている。
東加古川から先は、徐々に乗車率が上がり、JR東日本中央本線にも同名の駅がある大久保を過ぎると、電車は大きく右に針路を変え、西明石に到着。ここから東海道本線草津までは複々線となる。
この日は山陽本線西明石―神戸間の複々線のうち、西明石―新長田間の緩行線は未乗車のため、以前から乗りたいと考えていた。“乗るのであれば、221系にしたい”というこだわりを持っており、ようやく実現した。
西明石では1分停車。神戸から先は、後続の新快速京都方面湖西線経由敦賀行きが早く着くものの、次の明石とも隣のホームへ移動しなければならないせいか、思ったほど乗り換え客は少なかった。新快速に乗り換えても、坐れない可能性があるため、“坐り続けたい”願望が強いのだろう。
※次は明石
明石からは快速運転がスタート。朝霧―舞子間は、列車線(特急、新快速、一部の快速、貨物列車など)は上段、電車線(大半の快速、各駅停車)は下段を走る。西明石―草津間の複々線は列車線を「外側線」、電車線を「内側線」ともいわれるが、西明石―新長田間はJR東日本首都圏の複々線と同じ「快速線」、「緩行線」というレイアウトである。
快速は一部を除き、電車線を走行するが、終日列車線で運行できない理由は2つある。1つ目は新快速に2回追い抜かれること、2つ目は舞子、垂水、須磨の列車線にホームがないためである。ちなみに朝ラッシュ時の一部の快速は、列車線を走り、舞子、垂水、須磨を通過する(種別を「通勤快速」に改めて、わかりやすくするべきだろう)。
舞子は明石海峡大橋の最寄り駅で、淡路島や徳島駅方面の高速バスに乗り換えることができる。舞子はもともと通過駅だったが、明石海峡大橋の開業に伴い、平成10年(1998年)3月14日(土曜日)のダイヤ改正で停車駅に加えている。
停車中、左側の列車線で新快速姫路方面播州赤穂行きが通過すると、横揺れの衝撃があった。まるで〈こだま〉が〈ひかり〉〈のぞみ〉の通過待ちを受けているかのようだ。
※次は須磨
垂水を発車すると、複々線はまた上下段に分かれ、進行方向右側には大阪湾が見えた。列車線と違い、電車線は間近で大阪湾を眺めることができる。
11時42分、須磨3番のりばに到着。隣の2番のりばには、321系の上り各駅停車が発車を待っている。同一ホームで緩急接続できない珍しい展開だが、各駅停車は須磨始発で、そのまま折り返しているのだ。
新長田を通過すると、山陽本線複々線完全制覇達成!! ほどなくして、複々線は複線並列から“片側2車線”方式に変わり、新快速京都方面湖西線経由敦賀行きにあっさり抜かれ、兵庫に到着。1段低い高架の山陽本線支線(通称、「和田岬線」)ホームには、103系がパンタグラフを上げた状態で止まっている。和田岬線用の103系は教習車兼用となっているせいか、方向幕は「兵庫⇔和田岬」のまま。
さて、2011年2月15日(火曜日)の神戸新聞によると、JR西日本は和田岬線を切り捨てる可能性があると報道している。
和田岬線は「神戸市交通局海岸線と競合している」といってもよく、一部の利用客が同線に流れたほか、三菱重工業や三菱電機の従業員自体も減っており、乗車率が減少の傾向にあるという。
和田岬線は朝夕ラッシュ時のみの運行で、2011年3月13日(土曜日)のダイヤ改正時の運行本数は、平日17往復、土曜日12往復、休日2往復。一方、海岸線は日中10分間隔で運行しており、利便性は歴然としている。しかし、海岸線も低調で、約830億円の累積赤字を抱えているという。これは全区間東海道・山陽本線及び、同局山手線と競合しているからである。
和田岬線を切り捨てたところで、海岸線の乗車率が劇的に上がる保証はないが、どこまで巻き返せるか? また、和田岬はどういうところなのか? ゆっくり歩いてみたくなる。
◆セカンドライフの男性とボーイズトーク
11時50分、神戸に到着。新快速京都方面湖西線経由敦賀行きに乗り損ねたのか、意外と多く乗ってくる。ここから東海道本線に入り、元町で大量下車。一気にガラガラとなるものの、三ノ宮で再びにぎわう。神戸―高槻間は新快速より早く到着するためだからだろう。
六甲道は平成7年(1995年)1月17日(火曜日)5時46分に兵庫県南部地震(阪神大震災)が発生した際、高架が損傷。ニュース映像で、復旧工事完了後、複々線で同一方向に試運転をする電気機関車の記憶が蘇った。
六甲道は2011年3月19日(土曜日)に利用したが、駅前では地元の大学生が東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日14時45分発生)の募金活動に精を出していた。私は都内で震度5強を経験し、一生忘れられない大きな揺れを味わったが、大津波で激甚な被害を受けた東北地方太平洋沿岸を中心に、みずから救いの手になる姿に感銘を受けた。
快速(高槻から普通電車)京都方面米原行きは、芦屋2番のりばに到着。向かいの1番のりばには、207系の各駅停車JR東西線経由松井山手行きが停まっており、接続をとる。
芦屋は新快速も停まり、各駅停車と接続をとっているが、私はあることに気づいた。
それは緩急接続を行なう際、新快速は下り1番のりば、上り4番のりば、各駅停車は下り2番のりば、上り3番のりばに停車。快速は下り2番のりば、上り3番のりば、各駅停車は下り1番のりば、上り4番のりばに停車することだ。さすがはフレキシブルに優れた“JR西日本、巧みの技”といえる(大げさな表現かもしれないが)。
ガラガラの特急〈はまかぜ3号〉香住行きとすれ違い、尼崎5番のりばに到着。向かいの6番のりばには、福知山線宝塚からの快速JR東西線経由同志社前行きが停まっており、接続。ちなみに2011年3月12日(土曜日)のダイヤ改正で、日中時間帯にJR東西線を経由する快速は、福知山線塚口発着に変更されている。このダイヤ改正前までの福知山線尼崎―宝塚間は“快速街道”で、日中時間帯はJR東西線からの快速と丹波路快速が頻発していた(注、丹波路快速は誕生時から30分間隔で運行)。
現在、福知山線塚口―宝塚間の日中は、大阪発着の快速(丹波路快速も含む。なお、塚口は通過)、各駅停車はそれぞれ15分間隔に統一し、ダイヤにゆとりを持たせている。
快速(高槻から普通電車)京都方面米原行きが先に尼崎を発車し、12時23分、気温33.8度の大阪8番のりばに到着。ここで2分停車し、乗客は大幅に入れ替わる。向かいの7番のりばには、321系の各駅停車京都行きが停まっており、接続をとる。
8番のりばは長蛇の列だが、半数は後続の新快速米原方面近江塩津行きを待つ。大阪―京都間は、新快速が絶対的な存在であることを物語っているが、それゆえ、乗客が集中してしまう課題もある。京都は湖西線直通の普通電車が発着するため、緩急接続が難しい状況にある。京都で緩急接続をさせるには、特急用の0番のりばに新快速を終日停車させる案もあるだろう。しかし、同一ホームで乗り換えることができない難点がある。JR西日本としては、利用客に負担をかけない乗換えが理想ではないだろうか。
また、高槻発着の各駅停車を京都発着に変更させ、快速区間を終日西明石―京都間に統一させれば、京都での緩急接続が可能だと思う。先述したように、同一ホームで乗り換えさせることができるかが課題だろう。
新大阪で多く降り、私の隣に「リタイア(定年退職)して10年」という70代と思われる男性が坐ってきた。発車すると100㎞/hも出ない。明石―大阪間はものすごく速い印象を受けていただけに拍子抜けだ。
吹田を通過し、進行方向左側には展示予定の0系が見え、それを過ぎると、男性が話しかけてくる。私が“旅人”であることを見抜いたようだ。
男性は甲子園球場で高校野球を観戦した帰りだという。本来は数試合見るつもりだったらしいが、暑いことや球場が混雑している状況だったため、予定を早めて切り上げたという。この男性は山科まで利用するので、後続の新快速米原方面近江塩津行きが早く着くものの、特にこだわっていないようだ(新快速は坐れる保証が低いため、乗車率が劣る快速を選択肢もある)。
男性は私を旅人かつ鉄道好きだと見抜き、脳梗塞で倒れた友人を話し出す。その友人は蒸気機関車の車輪を5枚持っていたという。しかし、2枚を処分。友人の奥さんは車輪収集に困っていたらしい。蒸気機関車の車輪は大きいものなのか、小さいものなのかはわからなかったが、大きいものだと置き場所に悩むだろう。
高槻から普通電車となり、12時43分に発車すると、猛烈なスピードに戻る。かつて、高槻―山崎間(7.5キロ)は103系が激走していたという。今は途中に島本という駅を新設したが、それでも高槻からは5.3キロ離れている。
新駅の設置による所要時間確保のため、100㎞/h止まりの201系、205系は他線に移ったが、2011年3月12日(土曜日)のダイヤ改正で、後者が奇跡的に東海道本線復帰を果たした。205系は207系や321系と同じカラーに装いを改め、平日朝のみ京都―尼崎間で運行を再開している。
山崎を発車すると、新快速米原方面近江塩津行きに抜かれ、桂川(久世)に到着。
「桂川にも快速停まるんやなぁー」
と男性はつぶやく。ちなみに桂川(久世)は快速通過駅で、普通電車や各駅停車のみ停車する。男性が「快速」だと言ったのは、快速区間の大半の電車は「西明石―高槻間」だからである。
さて、兵庫―京都間の複々線の注目点は、柵である。これは多くの駅のホームが相対式ふうになっている。特に各駅停車しか停まらない駅は、列車線ホームに柵をして、安全性の確保に努めている。また、列車線に快速が停まる駅では、ロープのみ、またはロープと柵を併用している
かつて、各駅停車しか停まらない駅は、黄色い柵を設置していたが、いつのまにか銀の柵に更新した。この柵は列車線を走行中の列車が非常時で緊急停車した際、容易に脱出できる工夫を施している。
13時05分、京都2番のりばに到着。向かいの3番のりばには、113系湖西線直通の普通電車近江今津行きが13時11分の発車を待っている。
◆まさかの消灯
山科で男性が下車し、私はお礼を述べる。
トンネルを抜け、大津に到着するとき、突然、非常灯以外の車内灯がすべて消えてしまうアクシデントが発生した。車掌はお詫びを入れていたが、トンネル内であれば混乱が生じていたかもしれない。
瀬田で下車客が多くなり、草津を過ぎると1シート1人の状況となる。普通電車の京都―野洲間は15分間隔だが、野洲―米原間は30分間隔になるため、“ローカル線”のような雰囲気となる。
13時38分、野洲2番のりばに到着。ここで1番のりばに滑り込む新快速野洲止まりを待つ。かつて、日中の新快速大阪発上りは、00・30分発は米原方面長浜行き、15分発は京都方面湖西線直通、45分発は京都方面草津行きだった。その45分発を京都方面野洲行きに変更し、終点で普通電車米原行きに接続をとったのである。これにより、新快速の米原方面は、実質毎時3本体制になったといえるだろう。ちなみに、現在の日中の新快速大阪発上りは、00分発は米原方面長浜行き、15分発は京都方面湖西線経由敦賀行き、30分発は米原方面近江塩津行き、45分発は京都方面野洲行きである。
新快速野洲止まりが到着し、半数は普通電車米原行きに乗り換え、13時42分に発車。野洲―篠原間、安土―能登川間は120㎞/hをマークした。
南彦根を過ぎると、近江鉄道本線に合流し、2009年4月8日(水曜日)に誕生した新駅、ひこね芹川を通過。ガードマン1人が警備にあたり、電車の到着を待っている。
車内はすっかり空席が目立っているが、ラストスパートも手を抜かず、しっかり走り、14時17分、終点米原5番のりばに到着した。
◆定速走行でスイスイ名古屋へ
米原7・8番のりばへ。7番のりばには臨時エル特急〈しらさぎ92号〉米原止まりが到着し、ホームは混雑かつ混乱。そんな中、8番のりばにJR東海の普通電車大垣行き(クハ117-111:女性車掌乗務)が入線。始発から立客が発生し、14時30分に発車。快晴が続き、日よけのカーテンを下ろす乗客も少なくはない。
普通電車大垣行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
大垣 | なし | クハ117- | 111 | ○ | なし |
なし | モハ117- | 56 | ○ | なし | |
なし | モハ116- | 56 | ○ | なし | |
米原 | なし | クハ116- | 28 | ○ | なし |
※次は大垣 終点
15時04分、終点大垣1番線に到着。乗り換える新快速豊橋行き(クモハ313-5001:女性車掌乗務)は、なんと5番線!! ほとんどの人々が大移動と化し、新快速豊橋行きに乗り換えるものの、坐れることができず15時10分に発車。途中まで樽見鉄道樽見線と並走するが、雑草が気になる。
意外にも岐阜で多く降り、乗車率は若干落ち、15時22分に発車。直線が多いため、115㎞/hの定速走行でスイスイ駆け抜ける。
新快速豊橋行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
名古屋 | なし | クモハ313- | 5001 | ○ | なし |
なし | サ ハ313- | 5301 | ○ | なし | |
なし | モ ハ313- | 5001 | ○ | なし | |
なし | サ ハ313- | 5001 | ○ | なし | |
なし | モ ハ313- | 5301 | ○ | なし | |
大垣 | なし | ク ハ312- | 5001 | ○ | なし |
※次は名古屋
尾張一宮を発車し、下り坂で116㎞/hを記録。清洲通過後にスピードが落ちたものの、枇杷島で息を吹き返し、15時40分、名古屋2番線に到着した。
★備考
①eyevio「2009 年の汽車旅4 THE MOVIE」
②鉄道ニュース「キハ181系“はまかぜ”ラストラン」
③鉄道ニュース「キハ189系が“はまかぜ”で営業運転を開始」
④鉄道ニュース「“かにカニはまかぜ”運転開始」
⑤鉄道ニュース「キハ181系“かにカニはまかぜ”ラストラン」
⑥鉄道ニュース「『ありがとうキハ181系』号運転」
⑦鉄道ニュース「キハ181-12が津山へ」
⑧鉄道ニュース「京都総合運転所のキハ181系6連が下関へ」
⑨鉄道ニュース「旧津山扇形機関車庫にキハ181-12などが追加展示される」
⑩神戸新聞NEWS「利用客3割減 和田岬線の廃止検討 JR西日本」
⑪参考資料として、交通新聞社刊行、『鉄道ダイヤ情報2011年5月号』を使用。
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