石原裕次郎23回忌
石原裕次郎 東野英治郎 中谷一郎 富士山頂 水戸黄門シリーズ 東京都交通局 都営大江戸線 12-000形 JR東日本 中央本線 中央線 総武線 東京地下鉄 半蔵門線 8000系 東京急行電鉄 8500系 東海道本線 583系 東海道線全通120周年記念583系の旅 E233系シリーズ 209系シリーズ 神田正輝 石原プロモーション 東北本線 舘ひろし 渡哲也
2009年7月4日(土曜日)、テレビ朝日は石原裕次郎のために4時間10分を作り、後半は映画『富士山頂』を放送。“映画は劇場で見るもの”という石原裕次郎のこだわりで、今までテレビ放送は見合わせていたという。
『富士山頂』は40年前の映画なので、出演者はみんな若いのだが、『水戸黄門』の印象が強い東野英治郎や中谷一郎の“現代劇出演”は新鮮だった。
放映後、石原プロモーションの渡哲也2代目社長の石原裕次郎への熱い想いに深い感銘を受けた。2人は熱く厚い友情と絆が現在でも途切れることはないのだと。
翌日の11時44分、どんよりとした曇り空の中、東京都交通局都営大江戸線国立競技場(E-25)へ。
この日、国立陸上競技場で、石原裕次郎23回忌が行なわれる。以前、10回忌だったと思うが、石原裕次郎が眠る横浜市鶴見区の総持寺で行なわれたところ、予想をはるかに越える来場者数で、今回の23回忌は国立陸上競技場で行なわれることになった。
国立陸上競技場での23回忌は総持寺を再現したものを設置。耐水実験と一旦、取り外した都合上、総工費は10億円以上かかっているという。さすがはやることがハンパではない石原プロモーションだ。 国立陸上競技場へはJR東日本中央本線で行くことも考えたが、下車駅は信濃町なのか、千駄ケ谷なのかがわからず、都営大江戸線にした。
車両基地を含め、オール地下の都営大江戸線は、12-000系の照明のドア部分はグローブつき、そのほかはグローブなしとなっている。
車内は大入り満員で、都営大江戸線に乗って初めて、坐れない。都営大江戸線が浸透している証である。
下車して、係員の案内により、A1出口へ。エスカレーターは左右ともふさがれ、早く進めない。60代以上の方々が多く、青春時代の相棒は石原裕次郎だったことを彷彿させる。
国立陸上競技場を通り越して、明治神宮野球場へ。長蛇の列で入場制限が行なわれており、3時間待ちだという。正午で3時間待ちはきつく、献花は22時まで受け付けていることもあり、夕方に出直すとしよう。この日は小型パソコンを持ち合わせており、原稿を打つ態勢を整えている。
イチョウ並木の心地よい風で猛烈に浴びた熱気を冷まし、昼食購入後、青山一丁目駅へ。東京地下鉄半蔵門線(Z-03)8000系の急行久喜行きに乗り、ニュー中間車で食事をとる。
九段下(Z-06)で下車し、図書館へ。学生時代に会員登録しているため、利用できるんだな、これが(ビールのCM調)。
インターネットを利用するが、原稿を80分ほど入力。記録媒体が使えないため、メールフォームで入力。自宅のパソコンアドレスに送る。ちなみにケータイで原稿を入力していたこともある。
神保町から再び半蔵門線(Z-07)に乗り、14時56分発の急行南栗橋行きへ(東京急行電鉄8500系)。次のビッグハンドタウン、大手町(Z-08)で下車する。
東京へまわり、583系の団体〈東海道線全通120周年記念583系の旅〉の到着を見届けたあと、16時46分発、東北本線E233系の快速(吉祥寺から各駅停車)豊田行きへ。神田から中央本線に入り、四ツ谷で209系500番代の各駅停車三鷹行き(女性運転士乗務)に乗り換え、17時03分、信濃町へ。ちなみに一般的にオレンジの電車は「中央線」、イエローの電車は「総武線」と認識されている(日常生活では私もそう言っている)。
17時12分、再び国立陸上競技場青山門へ。大渋滞は解消され、中へ入る。ちなみに国立陸上競技場へ入るのは初めてだ。
まず入口で整理券をいただく。整理券はゲートナンバーが指定されており、私は左折して11番ゲートへ。献花では撮影やケータイ使用は禁止されているため、メモを用意するとしよう。
17時26分、11番ゲートに入る。そのあと空席を見つけて坐るが、100メートル以外、大行列!! 献花をもらうところ付近ではみんなが寺を撮りまくっている。陸上競技場に寺が建つのだから、記念に撮りたい人の気持ちはよくわかる。
ベンチに坐るが、ここからが長かった!! あまりの人の数で待たなければならないのだ。私は最初からフィールドへダイレクトで行けると思っていたから、飲食類を持参していない私は唾液でうるおすほかない。
18時になると照明がつき、合唱団による石原裕次郎の名曲を熱唱。『夜霧よ今夜もありがとう』はRailway Blogで使わせていただいたが、次第に空腹感を覚えるようになる。
18時15分、石原軍団の将来を担う俳優陣、石原まき子夫人、神田正輝、舘ひろし、渡哲也が登場。ここまで、85000人という多くの人々が23回忌に駆けつけいただいたことに厚く御礼申し上げていた。ちょうどその頃、11番ゲートでいよいよ献花の出番となっていた。
フィールドへ向かうが、まるで天の川を描くような人の流れ。そして、ありがたいことにポカリスエット1本サービス!! 『あぶない刑事』を思い出す。
18時39分、ついにフィールドへ。フィールドで撮影し、白い菊の花をいただく。順調にトラックを歩き、いよいよケータイ&撮影禁止ゾーンへ。
お寺を忠実に作り、石原裕次郎の遺影に献花を置き、合掌。『太陽にほえろ!』のボス役でしかリアルタイムで見る機会はなかったが、偉大な日本人であることを深く認識し、この日を深く刻みこもう。
実は、陸上競技場のフィールドに足を踏み入れるのは21年ぶり2回目。格段に足があるわけではないが、学校の行事で行ったことがある。そこでやりたくもなかった100メートル走をイヤイヤやったわけだが、ゴールまで、果てしなく遠く、長かったことを思い出す。
もう陸上競技場のフィールドに足を踏むことはないだろうと思い、しっかりと踏みしめ、19時03分、国立陸上競技場をあとにした。
なお、石原裕次郎23回忌は11萬7000人が参列したという。
★備考
①今回の動画はこちらにクリック!!
②今回の記事は2009年7月6日(月曜日)に掲載したmixi日記を加筆、修正したものです。
③岸田法眼のRailway Blog.「寝台急行〈銀河〉フォーエヴァーTHE LAST RUN.」はこちらにクリック!!
④岸田法眼のRailway Blog.「暴れん坊583系2009Ⅱ」はこちらにクリック!!
※来訪御礼のみや記事に関係のないコメントをされる方は上にクリックして下さい(コメントは承認いたしません)。また、我がブログのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
★お知らせ
①2009年5月16日(土曜日)、ホビージャパン刊行の『TRAIN MODELING MANUAL Vol.4』が発売され、私も執筆スタッフとして、参加しております。ぜひ、御購入ください(完売の際は御容赦ください)。
くわしくはこちらにクリック!!(御意見、御感想もこちらにお願いします)
②2009年7月7日(火曜日)、私の週刊誌初登板となる『週刊鉄道データファイル278号』(デアゴスティーニ・ジャパン刊行)が発売されました。くわしくは後日、Railway Blogでお知らせいたします。
岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
『富士山頂』は40年前の映画なので、出演者はみんな若いのだが、『水戸黄門』の印象が強い東野英治郎や中谷一郎の“現代劇出演”は新鮮だった。
放映後、石原プロモーションの渡哲也2代目社長の石原裕次郎への熱い想いに深い感銘を受けた。2人は熱く厚い友情と絆が現在でも途切れることはないのだと。
翌日の11時44分、どんよりとした曇り空の中、東京都交通局都営大江戸線国立競技場(E-25)へ。
この日、国立陸上競技場で、石原裕次郎23回忌が行なわれる。以前、10回忌だったと思うが、石原裕次郎が眠る横浜市鶴見区の総持寺で行なわれたところ、予想をはるかに越える来場者数で、今回の23回忌は国立陸上競技場で行なわれることになった。
国立陸上競技場での23回忌は総持寺を再現したものを設置。耐水実験と一旦、取り外した都合上、総工費は10億円以上かかっているという。さすがはやることがハンパではない石原プロモーションだ。 国立陸上競技場へはJR東日本中央本線で行くことも考えたが、下車駅は信濃町なのか、千駄ケ谷なのかがわからず、都営大江戸線にした。
車両基地を含め、オール地下の都営大江戸線は、12-000系の照明のドア部分はグローブつき、そのほかはグローブなしとなっている。
車内は大入り満員で、都営大江戸線に乗って初めて、坐れない。都営大江戸線が浸透している証である。
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17時12分、再び国立陸上競技場青山門へ。大渋滞は解消され、中へ入る。ちなみに国立陸上競技場へ入るのは初めてだ。
まず入口で整理券をいただく。整理券はゲートナンバーが指定されており、私は左折して11番ゲートへ。献花では撮影やケータイ使用は禁止されているため、メモを用意するとしよう。
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18時になると照明がつき、合唱団による石原裕次郎の名曲を熱唱。『夜霧よ今夜もありがとう』はRailway Blogで使わせていただいたが、次第に空腹感を覚えるようになる。
18時15分、石原軍団の将来を担う俳優陣、石原まき子夫人、神田正輝、舘ひろし、渡哲也が登場。ここまで、85000人という多くの人々が23回忌に駆けつけいただいたことに厚く御礼申し上げていた。ちょうどその頃、11番ゲートでいよいよ献花の出番となっていた。
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実は、陸上競技場のフィールドに足を踏み入れるのは21年ぶり2回目。格段に足があるわけではないが、学校の行事で行ったことがある。そこでやりたくもなかった100メートル走をイヤイヤやったわけだが、ゴールまで、果てしなく遠く、長かったことを思い出す。
もう陸上競技場のフィールドに足を踏むことはないだろうと思い、しっかりと踏みしめ、19時03分、国立陸上競技場をあとにした。
なお、石原裕次郎23回忌は11萬7000人が参列したという。
★備考
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②今回の記事は2009年7月6日(月曜日)に掲載したmixi日記を加筆、修正したものです。
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①2009年5月16日(土曜日)、ホビージャパン刊行の『TRAIN MODELING MANUAL Vol.4』が発売され、私も執筆スタッフとして、参加しております。ぜひ、御購入ください(完売の際は御容赦ください)。
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TRAIN MODELING MANUAL Vol.4(ホビージャパンMOOK 293)
- 作者:
- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 2009/05/16
- メディア: 大型本
岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
この記事へのコメント
岸田法眼さんも行かれていたのですね。
私は前夜の夜行で金沢から行きました。
朝早かったので一回目の入場は割合早かったです。
貴重な動画を撮られていたのですね。
gorukichiさんが来場された時間、私は寝ておりました。開門時間が当初の予定より15分ほど早かったそうですが、不滅の人気ぶりに偉大さを実感しました。
動画ですが、まさか姿を見せるとは思っていなかったので、あわてて回しました。ちなみに舘ひろしさんは4年ぶり4回目、神田正輝さんは17年ぶり2回目、ほかの方々は初めてナマで見ました。
またのお越しをお待ちしております。
凄かったですよねぇ~夜のライトアップ気になってたんです
キレイだったでしょうね~
夜のライトアップは綺麗でしたね。普段の総持寺はこんな感じなのかどうかはわかりませんが……
またのお越しをお待ちしております。