2002年の汽車旅11-前編-
2002年12月22日(日曜日)、フイルムの一眼レフカメラが故障。前日、雨という天候で私はカサを用意していなかったこともあり、ズブ濡れ。これが原因のようで、帰京後、修理に出した。
しかし、次の旅が数日後にせまり、所用で実家に戻った際、コンパクトカメラを借りることになった。但し、ISO100という感度の悪いフイルムが入っているため、暗いところの撮影には向かず、ストロボをたかざるを得なくなる。もっとも、どのフイルムもコンパクトカメラだと暗いところや室内はストロボをたかなきゃいけないんだけどね。
私はこの当時、デジカメを持っておらず、それほど普及していなかったような気がするものの、現像する必要性がないのは大きなメリットで、フイルム時代よりもボカスカ撮りまくっている。フイルムはコマ数が限られているため、現像料などを考えながら撮影していたが、デジカメはそこまで考える必要性が薄いため、メモ代わりのように撮ることが多い。
さて、2002年12月28日(土曜日)、JR東日本東京へ。いつもはホームから始まるところだが、今回は丸の内北口。「夢が輝く、光の先へ。」をキャッチフレーズとする第4回TOKYO MILLENARIOへ。しかし、21時チョッキシで終わってしまい、駅前にある“おまけ”しか見ることができなかった。
徒歩で新橋へ足を向けると、酔っ払いが多いのは予想していた通りだったが、中国、台湾、韓国のオナゴがマッサージの強引な勧誘にあうが、断る(風俗業らしい)。朝5時までこのありさまらしいが、ちゃんとした仕事に就いてもらわないと困るね。んまぁー、サスペンス小説のネタになるかもしれないけど。

2002年12月29日(土曜日)、JR東日本東海道本線新橋へ。上り1番電車は快速〈ムーンライトながら〉東京行きで、当然、それに乗ることはなく、2番電車は4時40分発の各駅停車東京・上野方面行き(4号車サハ205-60:山手線)に乗るが、ガラガラ。
東京から東北本線に入り、上野で5番線にまわり、普通電車黒磯行き(2号車モハE230-3522:セミクロスシート)に乗り換え。冬季のためか、ドアは半自動扱いになっている。また、この当時、E231系近郊形タイプにグリーン車はない。

初めてE231系近郊形タイプのボックスシートに坐るが、いきなりウサンクサイオヤジと相席になり、気分が悪い。また、意外にも朝帰りの利用客が多かったように思える。
5時10分に発車し、栗橋で東武鉄道日光線6050系の準急東武日光行きに遭遇。浅草発の1番電車で、4両編成で運行。この当時、両社直通の連絡線はなく、建設するとは誰も想像していない時代だったが、当時から敷設できるスペースはあった。
2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、両社の相互直通運転がスタート。合わせて、準急は“イーハー東武”に譲り、新たに区間急行として再出発。旧式準急と同じ停車駅のため、大きな混乱もない。
小山は停車時間が長いため、半自動扱い。E231系近郊形タイプは寒冷地対策が施されているのだ。

夜が明け、6時54分、宇都宮に到着。ここでもドアは半自動。私は日光線の普通電車日光行き(クハ106-4)に乗り換える。こちらもドアは半自動だが、E231系近郊形タイプはボタンで開閉できるのに対し、107系はドアを引かなければならない。
107系は昭和63年(1988年)に入団。急行から普通電車に転用された165系を置き換えるため、誕生したものだが、車体は新製したものの、走行機器類や冷房装置は165系を転用。まるで車体更新車に思えるが、改造車という名目にはなっていない。
165系は2ドアで、最低3両編成でないと運行できないことから、107系はロングシートの3ドアとした通勤形電車である。また、車両メーカーには発注せず、すべて自社の工場産である。
クハ106形はトイレを設置しており、その向かい側は2人掛けの“枕木席”となっている。これはボックスシートでなければ、クロスシートでもない固定座席なのだ。進行方向に向いている場合は好都合の席かもしれないが、それ以外はすべてロングシートのため、常に坐っている人の表情を見るような感じになっている(1回、211系3000番台で坐ったことがあるが、落ち着かない)。
日光線は勾配の多い路線のため、クモハ107形に砂箱を設け、台車が空転しないよう、努めている。また、冬季限定使用の霜取りパンタグラフも装備している。
107系は日光線専用で、群馬地区には107系100番台が投入されており、砂箱と霜取りパンタグラフは装備していない。また、塗装も異なっている。
7時03分、普通電車日光行きが発車。意外と終点日光まで距離があることに驚く。これではかつての“日光バトル”が東武鉄道を選ぶのがわかるような気がする。
鹿沼を発車すると、日光へアタックするかのように宅地が消えて、山岳へ。よく揺れる。そして、車窓は杉並木を走り、“花粉症線”と言いたくなる。

7時51分、終点日光1番線に到着。日光線全線完乗を達成した。
一旦下車し、東武日光へ。この地へ訪れるのは東武鉄道日光線を全線完乗した平成9年(1997年)8月16日(土曜日)以来となる。日光の空気はおいしいさぁー。
日光に戻り、8時11分発の普通電車宇都宮行き(クモハ107-4)に乗り、終点宇都宮には8時53分に到着。10番線へまわり、東北本線の普通列車烏山行きワンマンカー(キハ40 1005:ロングシート改造車)へ。

この列車は宝積寺(Hohshakuji)から烏山線に入るため、気動車になっているが、サボが七福神のキャラクターが勢ぞろい。その下は大黒天様がえびす顔。
9時13分、9番線に寝台特急〈北斗星2号〉上野行きが到着した。
「ギョーザ、ギョーザ、ギョーザァー」
と駅弁売りのオジサンが声を上げて、売り込みに精を出すが、その声は利用客に届かない。ちなみに食堂車のグランシャリオは5人利用していた。
宇都宮はギョーザで有名だが、日本初の駅弁でも知られている。当時、日本初の駅弁はおにぎり2個とたくわんだった。
ところが、フリー百科事典『Wikipedia「駅弁」』によると、どこが最初なのか不明という説がある。
思えば、子供の頃、学研の『3年の学習』だったと思うが、付録の豆知識本で日本初の駅弁は宇都宮とハッキリ明記されていた記憶がある。学研の学習と科学は鉄道の知識を詰め込む貴重なアイテムだった。
駅弁売りのオジサンが大声を出すのも、日本初の駅弁という威信をかけているのだろう。
寝台特急〈北斗星2号〉上野行きの停車時間は1分もなく、すぐさま発車。これでは駅弁を買う勇気を持つお客は少ないと思うが、普通列車烏山行きワンマンカーも9時13分に発車。
宝積寺から烏山線に入り、ローカルムードを漂わす田園風景。仁井田(Ni-ita)から勾配を登ってゆく。
キハ40系1000番台に乗って驚くのは、①トイレ撤去。②スーパーロングシート。③車外ブザーと「扉が閉まります。御注意下さい(×2)」の音声は帝都高速度交通営団と同じであること(東京地下鉄に変わった現在も03系で聴くことができる)。

10時02分、終点烏山に到着し、全線完乗を達成した。
あるコンビニの烏山金井店で昼食を購入するも、玄関の店名表示が「鳥山金井店」になっていた(撮ればよかった)。
★備考
①フリー百科事典『Wikipedia「JR東日本107系電車」』はこちらにクリック!!
②フリー百科事典『Wikipedia「烏山線」』はこちらにクリック!!
③フリー百科事典『Wikipedia「駅弁」』はこちらにクリック!!
④借りもののフイルム式コンパクトカメラで撮影しているため、画質がよくない写真がありますことを御了承下さい。
⑤岸田法眼のRailway Blog.「まだまだ1800系2007(日光線臨時快速-前編-)」はこちらにクリック!!
⑥岸田法眼のRailway Blog.「まだまだ1800系2008」はこちらにクリック!!

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しかし、次の旅が数日後にせまり、所用で実家に戻った際、コンパクトカメラを借りることになった。但し、ISO100という感度の悪いフイルムが入っているため、暗いところの撮影には向かず、ストロボをたかざるを得なくなる。もっとも、どのフイルムもコンパクトカメラだと暗いところや室内はストロボをたかなきゃいけないんだけどね。
私はこの当時、デジカメを持っておらず、それほど普及していなかったような気がするものの、現像する必要性がないのは大きなメリットで、フイルム時代よりもボカスカ撮りまくっている。フイルムはコマ数が限られているため、現像料などを考えながら撮影していたが、デジカメはそこまで考える必要性が薄いため、メモ代わりのように撮ることが多い。

さて、2002年12月28日(土曜日)、JR東日本東京へ。いつもはホームから始まるところだが、今回は丸の内北口。「夢が輝く、光の先へ。」をキャッチフレーズとする第4回TOKYO MILLENARIOへ。しかし、21時チョッキシで終わってしまい、駅前にある“おまけ”しか見ることができなかった。
徒歩で新橋へ足を向けると、酔っ払いが多いのは予想していた通りだったが、中国、台湾、韓国のオナゴがマッサージの強引な勧誘にあうが、断る(風俗業らしい)。朝5時までこのありさまらしいが、ちゃんとした仕事に就いてもらわないと困るね。んまぁー、サスペンス小説のネタになるかもしれないけど。

2002年12月29日(土曜日)、JR東日本東海道本線新橋へ。上り1番電車は快速〈ムーンライトながら〉東京行きで、当然、それに乗ることはなく、2番電車は4時40分発の各駅停車東京・上野方面行き(4号車サハ205-60:山手線)に乗るが、ガラガラ。
各駅停車東京・上野方面行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
上野 | 11 | クハ205- | 30 | ○ | なし |
10 | サハ204- | 30 | ○ | 6ドア車 | |
9 | モハ205- | 88 | ○ | なし | |
8 | モハ204- | 88 | ○ | なし | |
7 | サハ205- | 59 | ○ | なし | |
6 | モハ205- | 89 | ○ | なし | |
5 | モハ204- | 89 | ○ | なし | |
4 | サハ205- | 60 | ○ | 弱冷房車 | |
3 | モハ205- | 90 | ○ | なし | |
2 | モハ204- | 90 | ○ | なし | |
新橋 | 1 | クハ204- | 30 | ○ | なし |
東京から東北本線に入り、上野で5番線にまわり、普通電車黒磯行き(2号車モハE230-3522:セミクロスシート)に乗り換え。冬季のためか、ドアは半自動扱いになっている。また、この当時、E231系近郊形タイプにグリーン車はない。

初めてE231系近郊形タイプのボックスシートに坐るが、いきなりウサンクサイオヤジと相席になり、気分が悪い。また、意外にも朝帰りの利用客が多かったように思える。
普通電車黒磯行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
宇都宮 | 10 | クハE231- | 6022 | ○ | ロングシート |
9 | サハE231- | 1064 | ○ | ロングシート | |
8 | モハE231- | 1034 | ○ | ロングシート | |
7 | モハE230- | 1034 | ○ | ロングシート | |
6 | サハE231- | 6022 | ○ | ロングシート | |
5 | サハE231- | 1065 | ○ | ロングシート | |
4 | サハE231- | 1066 | ○ | ロングシート | |
3 | モハE231- | 1522 | ○ | ロングシート。弱冷房車 | |
2 | モハE230- | 3522 | ○ | セミクロスシート | |
上野 | 1 | クハE230- | 8022 | ○ | セミクロスシート |
5時10分に発車し、栗橋で東武鉄道日光線6050系の準急東武日光行きに遭遇。浅草発の1番電車で、4両編成で運行。この当時、両社直通の連絡線はなく、建設するとは誰も想像していない時代だったが、当時から敷設できるスペースはあった。
2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、両社の相互直通運転がスタート。合わせて、準急は“イーハー東武”に譲り、新たに区間急行として再出発。旧式準急と同じ停車駅のため、大きな混乱もない。
小山は停車時間が長いため、半自動扱い。E231系近郊形タイプは寒冷地対策が施されているのだ。

夜が明け、6時54分、宇都宮に到着。ここでもドアは半自動。私は日光線の普通電車日光行き(クハ106-4)に乗り換える。こちらもドアは半自動だが、E231系近郊形タイプはボタンで開閉できるのに対し、107系はドアを引かなければならない。
107系は昭和63年(1988年)に入団。急行から普通電車に転用された165系を置き換えるため、誕生したものだが、車体は新製したものの、走行機器類や冷房装置は165系を転用。まるで車体更新車に思えるが、改造車という名目にはなっていない。
165系は2ドアで、最低3両編成でないと運行できないことから、107系はロングシートの3ドアとした通勤形電車である。また、車両メーカーには発注せず、すべて自社の工場産である。

クハ106形はトイレを設置しており、その向かい側は2人掛けの“枕木席”となっている。これはボックスシートでなければ、クロスシートでもない固定座席なのだ。進行方向に向いている場合は好都合の席かもしれないが、それ以外はすべてロングシートのため、常に坐っている人の表情を見るような感じになっている(1回、211系3000番台で坐ったことがあるが、落ち着かない)。
日光線は勾配の多い路線のため、クモハ107形に砂箱を設け、台車が空転しないよう、努めている。また、冬季限定使用の霜取りパンタグラフも装備している。
107系は日光線専用で、群馬地区には107系100番台が投入されており、砂箱と霜取りパンタグラフは装備していない。また、塗装も異なっている。
7時03分、普通電車日光行きが発車。意外と終点日光まで距離があることに驚く。これではかつての“日光バトル”が東武鉄道を選ぶのがわかるような気がする。
普通電車日光行き編成表 | |||||
普通電車宇都宮行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
日光 | なし | ク ハ106- | 4 | ○ | 日光行きで乗車 |
宇都宮 | なし | クモハ107- | 4 | ○ | 宇都宮行きで乗車 |
鹿沼を発車すると、日光へアタックするかのように宅地が消えて、山岳へ。よく揺れる。そして、車窓は杉並木を走り、“花粉症線”と言いたくなる。

7時51分、終点日光1番線に到着。日光線全線完乗を達成した。

一旦下車し、東武日光へ。この地へ訪れるのは東武鉄道日光線を全線完乗した平成9年(1997年)8月16日(土曜日)以来となる。日光の空気はおいしいさぁー。

日光に戻り、8時11分発の普通電車宇都宮行き(クモハ107-4)に乗り、終点宇都宮には8時53分に到着。10番線へまわり、東北本線の普通列車烏山行きワンマンカー(キハ40 1005:ロングシート改造車)へ。

この列車は宝積寺(Hohshakuji)から烏山線に入るため、気動車になっているが、サボが七福神のキャラクターが勢ぞろい。その下は大黒天様がえびす顔。
9時13分、9番線に寝台特急〈北斗星2号〉上野行きが到着した。
「ギョーザ、ギョーザ、ギョーザァー」
と駅弁売りのオジサンが声を上げて、売り込みに精を出すが、その声は利用客に届かない。ちなみに食堂車のグランシャリオは5人利用していた。
宇都宮はギョーザで有名だが、日本初の駅弁でも知られている。当時、日本初の駅弁はおにぎり2個とたくわんだった。
ところが、フリー百科事典『Wikipedia「駅弁」』によると、どこが最初なのか不明という説がある。
思えば、子供の頃、学研の『3年の学習』だったと思うが、付録の豆知識本で日本初の駅弁は宇都宮とハッキリ明記されていた記憶がある。学研の学習と科学は鉄道の知識を詰め込む貴重なアイテムだった。
駅弁売りのオジサンが大声を出すのも、日本初の駅弁という威信をかけているのだろう。
寝台特急〈北斗星2号〉上野行きの停車時間は1分もなく、すぐさま発車。これでは駅弁を買う勇気を持つお客は少ないと思うが、普通列車烏山行きワンマンカーも9時13分に発車。
宝積寺から烏山線に入り、ローカルムードを漂わす田園風景。仁井田(Ni-ita)から勾配を登ってゆく。
普通列車烏山行きワンマンカー編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
烏山 | なし | キハ40 | 1005 | ○ | ロングシート改造車 |
宇都宮 | なし | キハ40 | 1004 | ○ | ロングシート改造車 |
キハ40系1000番台に乗って驚くのは、①トイレ撤去。②スーパーロングシート。③車外ブザーと「扉が閉まります。御注意下さい(×2)」の音声は帝都高速度交通営団と同じであること(東京地下鉄に変わった現在も03系で聴くことができる)。

10時02分、終点烏山に到着し、全線完乗を達成した。
あるコンビニの烏山金井店で昼食を購入するも、玄関の店名表示が「鳥山金井店」になっていた(撮ればよかった)。
★備考
①フリー百科事典『Wikipedia「JR東日本107系電車」』はこちらにクリック!!
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④借りもののフイルム式コンパクトカメラで撮影しているため、画質がよくない写真がありますことを御了承下さい。
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⑥岸田法眼のRailway Blog.「まだまだ1800系2008」はこちらにクリック!!

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この記事へのコメント
車窓からの景色をぼっーと見てるだけで、数時間過ごせます。
面白い物を発見するのが好き
記者は「汽車」のことですね。
私も車窓を眺めるほうです。日常ならともかく、旅の車中で読書というのは好まないほうです。
またのお越しをお待ちしております。
副都心線ですが、年内には乗りに行きます。
なお、記事に関係のない御質問はRailway Talkにお願いします。