逸見政孝さん生誕の地、大阪市交通局御堂筋線西田辺駅
この画像は2003年3月15日(土曜日)、フイルムカメラで撮影した大阪市交通局御堂筋線西田辺(M25)です。
この西田辺(M25)は逸見政孝さん生誕の地の最寄り駅でして、御本人が昭和63年(1988年)に刊行した著書、『素敵します 新装開店 いっつみいさん』で述べております。
駅を出ると、地上にあがるわけですが、JR西日本阪和線があります。私が立ち寄った当時の記憶を思い起こすと、地平で103系が通過しておりました。
世間では毎年、12月25日はクリスマスで、ハッピーな気分になっている方が多いと思います。しかし、私にとって、この日は1年の中で1番つらい日です。
西田辺(M25)は2回下車しており、1回目は2003年3月15日(土曜日)で、夜でした。“いつかもう1度行きたい”と胸に秘め、2004年8月20日(金曜日)に実現。町をくまなく歩きましたが、気がついたら、西田辺(M25)に戻れなくなってしまい、谷町線の駅に着いてしまったのです。個人的に“御堂筋線に乗りたい”という頑固なまでの一心で、道路の標識を頼りに昭和町(M24)へたどり着き、“軌道修正”ができました。
世の中には風化してはならないことがいくつかあります。私はこの出来事を風化させず、ガンが撲滅する世の中が実現することを願っております。
なお、今回のカテゴリーは悩みましたが、画像は2003年3月15日(土曜日)、動画は2004年8月20日(金曜日)に撮影したものを掲載しており、“2007年12月25日(火曜日)という今”をお伝えしておりますので、「プラットホーム2007」とさせていただきます。
★備考
①岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅3-前編-」はこちらをクリック!!
②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-1」はこちらをクリック!!
『大阪の地下鉄大研究』岸田法眼/著(天夢人)大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)は今年開業90年を迎えました。この90年間のハイライト・相互直通区間を含めた全路線と現役車両・保存車両が紹介されていて、そこから大阪メトロの特色を感じることができます。(Y)
— 生駒市図書館☆今日のオシボン (@IkomaLibOshibon) December 27, 2023
この記事へのコメント
逸見氏は大阪人からみても大阪人には見えませんでした。関西弁が出ないようにかなり苦労されたようですね。
このブログでは初めて「12月25日」に記事を載せました。
御存知の通り、鉄道をテーマとした内容でやっているので、それにこだわって今回、掲載に踏み切りました。
逸見さんはフラれた彼女を見返そうと一念発起して、東京のテレビ局のアナウンサーを目指して上京。関西弁を捨てて、標準語のアクセントを辞書(アクセント辞典)がボロボロになるまで、大学生活を過ごしていました。
逸見さんに好感が持てたのは“東京で関西弁をしゃべらない”ということですね。それができなければ、関西以外の地方に住む資格はないと思っています。実際、関西出身で関西弁を封印した方もおりますし、しゃべる人、なまっている人は相手にしないほうです。地方出身者は逸見さんがお手本なのです。
でも、20代の頃、数年ぶりに関西へ足を踏み入れた時、標準語をしゃべる人が意外に多いことには驚きました。
誤解のないように付け加えますと、ブログやホームページといったサイトですが、パソコンのできる環境ならどこでも更新できますので、本拠地もビジターもないのが実情です(実際に地方のインターネットカフェで更新したことがあります)。自宅で更新していることが多いのですが、言葉の環境について、このRailway Blogでは気にしておりません。
1年の中で1番迎えたくない日ですが、風化してはならないと肝に銘じています。
逸見さんは国民栄誉賞を受賞していないのが不思議ですが、日本人の誇りだと思います。
以前、友人が住んでいましたので何回か足を運んだ場所です。逸見さんゆかりの地とは知りませんでした。
古本屋で『素敵します 新装開店 いっつみいさん』を見つけなければ、知ることはありませんでした。また、個人的なファンなものですから、行ってみたいと思っていました。
なお、現在、生家はありません。逸見さんの呼びかけで親御さんが東京に移住したからです。そして、お墓も東京に移し、落成したばかりの豪邸で親類の骨壷を置いて、一夜を明かし、御先祖や先にガンで32歳の若さで旅立たれた弟さんに報告をしたというエピソードがあります。
>逸見さんに好感が持てたのは“東京で関西弁をしゃべらない”ということですね。それができなければ、関西以外の地方に住む資格はないと思っています。実際、関西出身で関西弁を封印した方もおりますし、しゃべる人、なまっている人は相手にしないほうです。地方出身者は逸見さんがお手本なのです。
これはどういうことでしょうか?
なぜ自分の言葉でしゃべることが、それほど嫌悪の対象となるのでしょう。好き嫌いは貴兄のご自由ですが、住む資格の有無を論じるなどあまりに傲慢ではありませんか。”地方出身者”が首都圏に住むにあたって資格とか手本など必要なのですか。
貴兄は旅先ではその土地の言葉で話されるのですか?
貴兄は”標準語”とやらを日頃使用されているのですか?関東弁或いはそれに類する方言を使われていませんか。関東弁=標準語では断じてないということを念のため申し添えます。
貴兄のコメントは”地方”及び地方に住む人に対する重大な偏見、冒涜であると思います。
>誤解のないように付け加えますと、ブログやホームページといったサイトですが、パソコンのできる環境ならどこでも更新できますので、本拠地もビジターもないのが実情です(実際に地方のインターネットカフェで更新したことがあります)。自宅で更新していることが多いのですが、言葉の環境について、このRailway Blogでは気にしておりません。
誤解も何もありません。貴兄が”地方”に対してコメントのとおりの考えを持って日々のブログを書いていらっしゃるということは誤解のしようがありません。
地方から上京するということは相当な覚悟が必要です。東京と聞いて、「夢」を持つ人が多いようですが、“冷たいところ”といったほうがいいでしょうね。ダメだったら、負け犬となって実家へ戻るのはみっともないと思いますよ。私だって、そういう弱音を吐くことはできないし、親も許さないでしょう。
かつて、ジャイアント馬場さんも巨人の投手として大成することができず、このまま田舎へ帰るのはみっともないという一心で、プロレスに転身した方です。地方から首都圏へ移住するには人の何倍以上のハングリー精神がないといけないのです。私は様々な方の体験談、経験談をふまえたうえで述べております。
逸見さんも局アナ時代、面接時や職場でも後輩らに標準語のアクセントをこっぴどく注意しておりました。御存知の通り、貴乃花親方夫人もフジテレビのアナウンサーで、高校卒業後、宮崎から上京して、大学在学中に面接を受けたのですが、その面接官が逸見さんで、ナマリが指摘されていました。本人も2度と同じ指摘をされないよう、標準語のアクセントのマスターに没頭し、入ることができました。
余談ですが、「関東弁」は関西の人しか言いません。逸見さんの著書、『新版魔法のまじめがね ブラウン管は思いやり発信局』でも述べています。
現代の人々は便利な世の中になり過ぎたせいか、ハングリー精神さえない人もいます。このままだと日本中がダメな世の中になることを私は危惧しています。
あと、コメントを引用するのはいかがなものでしょうか。自分のブログならともかく、ここは私のブログですから、避けたほうがいいですよ。
この件について私のコメントはこれまでといたします。
本年は様々な話題をご提供いただきありがとうございました。来年もちょくちょくお邪魔しますのでよろしく!
返信日が新年になってしまいましたが、本年もよろしくお願いします。