2004年の汽車旅4-後編-
2004年7月25日(日曜日)、運転停車の多度津で臨時快速〈ムーンライト松山〉京都行きと合体した。
臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉はJR西日本東海道本線を通り、急行〈きたぐに〉大阪行きとすれ違い、終点京都に到着。山科から湖西線に入る普通電車近江今津行き(クハ117-101)に乗り換え、ドコモのmova、N506iユーザー発見!!(高知はFOMAのN900iユーザーが多かった) ちなみにJR西日本所有の117系100番台は悲願の初乗車。
比叡山坂本で下車。地図を見て、比叡山に登ろう。
横断歩道を渡り、まっすぐ進む。ゆるやかな勾配となっており、比叡山登山へのプロローグだ。
途中で比叡山鉄道比叡山鉄道線ケーブル坂本駅があり、ちょっとのぞくが、7時はまだ動いていない様子。付近にデカデカとした地図があり、登山ロードの位置を確認し、アタック開始!!
私は登山家ではなく、なるつもりはないが、今までいくつかの山を登っている。旅なので、それなりの装備もせず、普段着でやっている。
2003年夏は大阪の能勢妙見山に挑戦。人の流れに身を任せ、阪急バスに乗ったら、能勢電鉄のケーブルカー(路線名なし)、黒川駅に着いちゃったが、今回は比叡山鉄道線を使わずに登る。
少し登ったら、「通行止め」と言っているかのように、鉄のクサリで通せんぼ。だが、私は突破するも、トカゲは出るわ、ヘビも出るわで、過去の登山に比べ、波乱の予感がした。
いつのまにかアスファルトがなくなり、坂も急勾配になった。ヘビに足をかまれないことに気をつけながら、慎重に足を踏みしめるが、いくら歩いても頂上に着かない。朝7時過ぎに登頂を開始したせいか、誰1人、すれ違わない。
登山中に水分を補給することのない私だが、この日だけは違った。
長袖のシャツとTシャツは汗でびっしょり。ノドがかわいて、臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉京都行きの車中で、朝食のカロリーメイトのあとに少し飲んだミルクティーのペットボトルを飲み干してしまった。
それでも足りず、夜行列車の必需品、ペットボトルのおちゃもゴクリ。
途中で紀貫之(Tsurayuki Kino)の墓地があり、少し休むが、出口は見えてこない。とうとう、ペットボトルのお茶も飲み干してしまい、“「飲料」という名の燃料”がなくなり、私のエネルギーはガス欠寸前!! あとは気力で進むしか道はなくなってしまった。
「カラカラカラ」
と音が聞こえた。私にとって、この音は救いの神だった。前へ進むと、比叡山鉄道線のレールがあり、しかも駅がある。ケーブルカーに途中駅があるなんて珍しいが、行ってみると、来るまで時間はあるし、てっぺんのケーブル延暦寺駅が見える。これならば、待って乗るより、最後まで登り切ろう。気力が私の身体に注入し、駆け上がり、比叡山登頂成功!!
ケーブル延暦寺駅近くの自販機でアクエリアスを買い、一気に飲み干す。「生きた心地がする」と言いたくなってくる。今までの登山では1番キツかった。
壮絶な比叡山登山で、シャツ類をしぼったら、汗が大量に流れ落ち、予備に用意したシャツにチェンジ。路上で上半身ハダカになるのは初めてだが、誰も私を見ていないし、全裸じゃないから、パクられることもなかろう。
気分をリフレッシュして、比叡山鉄道線ケーブル坂本行きケーブル坂本行き(YEN1)に乗り、全線完乗達成!! ちなみにケーブルカーは片道乗車が基本である。
徒歩で京阪電気鉄道石山坂本線坂本へ移動し、石山寺行き(604:ワンマン)へ。ちなみにドアチャイムは東武鉄道と同一。
石山坂本線全線完乗を達成し、石山寺へ。拝観料300円ということで引き返す。沿道の瀬田川ではカヌーが多発、ひっきりなしに通っていた。
石山寺駅へ戻って、坂本行き(605:ワンマン)に乗り、浜大津で京津線(Keishin Line)京都市役所行き(805:ワンマン)に乗り換え。坂道が多く、逆向きシートは人気がない。
御陵(Misasagi)で京津線全線完乗を達成し、浜大津行き(810:ワンマン)で折り返して、京阪山科でJR西日本[山科駅]に戻り、先ほどまで湖西線を走っていた普通電車京都行き(クハ111-5754:弱冷車&初期のリニューアル車)に乗り換え、終点で下車。
特別快速豊橋行き(クハ312-15)、普通電車静岡行き(モハ113-2003:リニューアル車&浜松から女性車掌乗務)に乗り継ぎ。
終点静岡で下車し、晩メシを補給し、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-5:熱海まで女性車掌乗務)に乗って、熱海からJR東日本に入るも、車掌は「優先席付近…」と案内したが、373系に優先席はなく、定型文放送を流す姿勢と知識のなさは疑問である。
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